25号 2006年3月発行
<特集> 「民俗」と「芸術」の節合と相克:1920-30年代
真鍋 昌賢
民俗学史における問題としての「芸術」――特集にあたっての序言
野村 典彦
旅と蒐集と伝説――一九三〇年前後、伝説趣味の周辺
香川 雅信
<郷土/玩具>考――二〇世紀初頭における<イノセンス>の発見
畑中 小百合
農村演劇の誕生――一九二〇年代の農民文学運動とのかかわりから
川村 清志
「民俗芸能」を分節化するまなざし――『民俗芸術』誌上における「郷土舞踊と民謡の会」批評をめぐって
伊藤 遊
ポピュラーカルチャー=日常生活を研究する/表現する――考現学における「芸術」と「博物学」
【論説】
小山 有子
「決戦衣生活」の一側面 ― 日本女子大学校『家庭週報』を中心に ―
宋 英子
1970年代以後の教育実践からみた在日朝鮮人教育の成果と課題
金 廣植
植民地「郷土」を研究することの意味― 朝鮮学、朝鮮民俗学、孫晋泰の再考―
ザイツェフ・ディミトリー
邦文新聞『浦潮日報』の報道から見た尼港事件
【対話と方法】
真鍋 昌賢
「地域」からはじまる「日本」研究 ― 日本学事始め演習の実践記録と今後の課題 ―
永岡 崇
安丸良夫と「民衆」の原像 ――『出口なお』について
【書評】
島薗 進
オウム真理教の世界を生きて ―早川紀代秀・川村邦光『私にとってオウムとは何だったのか』―
佐藤 壮広
書評:香川雅信『江戸妖怪革命』
川瀬 貴也
書評:全成坤『日帝下文化ナショナリズムの創出と崔南善』
冨山 一郎
裏切られた希望、あるいは希望について ―文富軾『失われた記憶を求めて―狂気の時代を考える』をめぐる省察
【卒論論文】
桶本 恭子
障害がある子の親<である>ということ―親たちの声を通じて ―